Canada Blog / カナダブログ

カナダ留学と移住についての日記

MAZDAと私

18歳で合宿で車の免許を取得し、その後は一気に車への関心が高まった学生時代。将来はオープンカーに乗るんだという野望を胸に、車の雑誌を読み漁っていました。

車と私

 日本には素晴らしい車体メーカーが揃っていて、トヨタをはじめ世界品質の会社ばかりです。私は兄(元走り屋)の影響もあり、車と過ごす青春時代を送っていたかもしれません。しかし私達の好みは正反対で、走り屋の兄に対して落ち着いた車が好きな私。運転免許を取得してからは、さらに車への関心が高くなっていったのです。ホンダの兄とマツダの私です。

MAZDA

 現在では若者が最初に関心を寄せる車種として人気なのが一般的にRVなどです。カッコいい外見と多用途な性能を持ち合わせ、グループでの長距離ドライブも難なくこなします。しかし私は落ち着いた美しいデザインが好きだったので、どうしてもセダンに関心が行きがちで、その中でもマツダの流線形のデザインには一目ぼれしました。

ユーノス500:小型車(5ナンバー)枠の上級車としてマツダ・ユーノス店から発売。特徴的なフロントデザインは欧州車の雰囲気を醸し出し、個性的なセダンとして熱烈なファンに支持されていました。マツダの売りたい車を売るという強い姿勢の表れだったような気がします。

センティア:当時の大型フラッグシップサルーンとしてマツダ店から発売。ターゲットはBMWなどの輸入車や国産の高級車。この車以上に美しいデザインの車種に出会ったことは未だにありません。

 学生時代は主にマツダ車に感銘を受け、ずっと写真を眺めたり、路上で走行している実車を見つけるのが好きでした。中でもマツダのユーノス500が発表された時は、当時購入できるはずもない若者が豪華なパンフレットを貰って喜んでいたのを覚えています。時代はバブル経済の真っただ中でしたので、とにかく豪華な仕様が当たり前で、コストをかけたマーケティングが主流でした。現在のマツダのデザインは異なりますが、デザインの傾向が一部似ているような気がします。

Be a driver

 それから社会人になった私は1996年にデミオに出会います。取り回しに優れたコンパクトカーでありながら室内の居住性は高く、よく愛犬を乗せて海へ出かけていたものです。それに競争力のある価格設定は他社を震撼させ、あっという間にマツダの屋台骨へと成長しました。また当時は車の屋根にルーフレールを付けて、外見をRV調にした車が人気だったのを覚えています。どの車もルーフレールだらけでした。

 初めて買ったMAZDA車はデミオ、当時では比較的珍しい青色でした。しかしカタログモデルで採用されていたためか、デミオの中でもブルーは差し色として人気があり、時々街中で同色のデミオとすれ違ったり、交差点で隣同士に停車したりすると何となく無意識に笑顔の私。マツダは従来足回りの良さが評価されていたメーカーであり、その考えはデミオにも継承されていたので、マツダは私達に運転する楽しさやワクワク感を伝えてくれたのです。

 デミオの走りと居住性が気に入った私は、次もデミオを購入し時間があれば目的のないドライブをしていました。年間で約15,000キロ走行しましたが、故障も無く本当に良く走ってくれました。2代目のデミオは6年くらいお世話になったと思います。

 夜中の車が少ない時間帯を好きな音楽を聴きながら車を走らせ、時には郊外へ出向き満点の星空を眺めていました。未踏の地を開拓する楽しさ、また地図を眺めて頭の中で都道府県を色塗りしていきます。車を維持するのはお金が必要ですが、それ以上にたくさんの経験と思い出を私にくれたのです。

ワクワク感

 日本では運転が好きだった私ですが、カナダに移住してからは全く運転していません。数年前に日本の運転免許所をカナダの免許証に切り替えたので運転できるのですが、法律が異なるのと、全体的に運転が荒く感じたり、保険制度を十分に理解していないのでペーパーです。また、私は都心部に住んでいるので、あえて車を運転する必要性が無いという理由もあります。

 しかし、いつか機会があればまた運転したいと思っているので、ネットでマツダのウェブサイトを眺めたりもしています。昨日、ヤフーニュースで新型Mazda2の画像を見ました。カナダでは発売予定が無いのが残念ですが、あの時のワクワク感を忘れないようにしたいと思います。